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オコジョの散歩道

■御牧ヶ原台地にて2  溜池をめぐって・・・(06-19 08:38)
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御牧ヶ原のすっきりとした浅間山がまだでしたね。

ちょっと雲もありましたが・・・
雲も山の賑わいです。



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狼森のくるみの木・・・

千曲ビューラインに出て、この木に御挨拶・・・

この胡桃の木はブログ『信州・浅間山麓から』の蒼山庵さんが、たびたび素敵な美しい写真にて紹介したことによりファンが増えました。

蒼山庵さんは、昔同じ会社に勤め、独身寮でも一緒だった人で、ユーモアにあふれて想像力豊かな素敵な方です。

蒼山庵さんは、狼森の名は地図にもないし、地元の人でも知っているとは限らないと書いています。わたしは、そうしてとぼけている蒼山庵さんやその仲間たちが名づけ親だと思えるのですが・・・
狼森っていい名前ですね。狼も昔は、ここにもいたかもしれません。
て仕方ないのです。

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昔は「なんでも屋」ともいう、万屋(よろずや)だったようです。昔は山村にはこういう店がありました。でも車社会になって消えていきました。

御牧ヶ原はパン屋さんと喫茶などの飲食のできる店はありますが、食品や日用品を扱っている店はありません。

夫婦そろって免許のない我が夫婦は住めないようです。

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遠く北アルプス・穂高岳・・・

まだ冬の姿に近いです。

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槍ヶ岳と常念岳

槍ヶ岳は人気ですが、左の常念岳に惹かれます。

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鹿島槍ヶ岳の勇姿です。
 
  昼の雲 舟のさまして 動かざる 鹿島鎗てふ 藍の山かな  三好達治


私の大好きな山々です。

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白馬三山・・・

今回は登ったことのある山を並べました。
ずっと昔の話ですが・・・

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狼森のジャガイモ畑と美ヶ原・・・

御牧ヶ原台地の粘土質で、場所により土の色が黒、赤、白と違います。土の色によって適している作物があるようです。
御牧ヶ原の白土は、ジャガイモの栽培に適していて、甘くて、きめ細い、「白土馬鈴薯」と呼ばれる上質なジャガイモが栽培されています。

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狼森のジャガイモ畑と蓼科山・・・

「白土馬鈴薯」は昭和30年以来、関西の料亭にのみ出荷されてきた高級食材でした。
最近は生産量も増え、広く流通するようになっています。「白土馬鈴薯」を使った近くの「あぐりの湯」の、ジャガバタとかコロッケ定食などに使われて、美味しいジャガイモの味が楽しめます。私はここで温泉に入り、浅間を眺めながらコロッケ定食を食べ地酒の浅間嶽を飲むのがささやかな楽しみで、私は幸せな気分になります。
素朴なメニューで確か700円くらい・・・
美味しいですよ。ただ、最近は食後の温泉はよくないそうなので、控えていますが・・・
もっとも、家では食後に入浴が多いで貸す。矛盾だらけの人間のようです。

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狼森のくるみの木の下もジャガイモ畑・・・

関東では3月には新じゃがの季節になりますが、寒さの厳しい佐久地方は今花盛り・・・
新じゃがは来月です。

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千曲ビューラインを行きます。

千曲ビューライン小諸から御牧ヶ原を横断して上田市まで続く農道で千曲川左岸広域農道です。千曲とうたっていますが、実際に千曲川に接するのは小諸大橋あたりだけ・・・

御牧ヶ原は細かい起伏があり、北海道のように真っすぐな道にはなりません。
でも変化があって良いです。

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小さなため池に小さな天文台・・・
「こぎつね天文台」といいうそうです。御牧ケ原にあるカフェ読書の森の常連さんによる御牧ケ原倶楽部のメンバーたちが、手作りで建てたそうです。

このあたりの小字が「狐塚」ということと小さな天文台なので、この可愛らしい名前になったとか・・・
このあたりは、今でも狐がすんでいて、良く出てくるそうです。

このあたりは人家も少なく、周りは田圃ばかり、星が良く見えそうです。

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千間無(ヒマム)池・・・

この池は数年前までは、一番大きい溜池だったのですが、この後、訪れるみまき大池ができて、今は御牧ヶ原で今は2番目大きな池です。
千間無は面白い名前ですかね。大きいけれど千間もないということでしょうか・・・
とするとユーモアのある人がつけたような・・・

昨日も少しふれましたが、御牧ヶ原は台地で河川がなく、全く、農業には適しませんでした。そのために、明治時代までは開発の記録はありません。

明治維新で、廃藩置県で小諸藩が解体し、藩士たちは失業・・・
藩士たちは、小諸商人たちの支援を受けて御牧ヶ原に300人が入植して溜池と水田を開きました。明治20年には370町歩の土地が開拓され、明治、大正、昭和にかけて、強粘土を活用して、200余のため池を造り、田畑を増やしていきました。

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千曲川をはさんだ浅間山麓は火山噴出物で水はけがよく、池が作りにくい土地なのですが、ここ御牧ヶ原は粘土質で掘れば池ができます。
しかし皮肉なことに川がない、つまり水源がなく、天水たよりだったため、極めて不安定な農業でした。

御牧ヶ原の池は200とも400とも言われます。
200と400では違いすぎますね。御牧ヶ原は農業用水だけでなく、生活用水用も天水が頼りでした。つまり家があれば池が必要というわけで、どこまでが池かという区分がしにくい小さい池が多いようです。

族の救済のはずが、生活は困窮し、士族は御牧ヶ原を去って行き、現実には商人が小作地を獲得した結果となってしまったようです。

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別な池・・・

名前は知りません。名前があるのかどうか・・・
何しろ池はたくさんありますから名前を付けきれないようです。区分の番号みたいなものは大きい池にはあるのでしょうが・・・

水に苦しんだ御牧ヶ原ですが、昭和37年から47年、サイフォンの原理を用いて、蓼科山の山腹の標高1,540メートルにある赤沼ため池(現女神湖)の水を、御牧ケ原の台地に導きました。女神湖はここから20km離れて、その間に鹿曲川が深い谷を刻んでいます。女神湖から鹿曲川に下った水はサイフォン管で御牧ヶ原台地に、押し上げました。
こうして、この台地に水が潤い、干害から抜け出すことができました。今は素敵な田畑が広がるところとなりました。

御牧ヶ原の地質は強粘土で肥えた土地で、日本で二番目ともいわれる雨が少ない、つまり日照時間が極めて長いため稲作に適し、良質の米の産地です。

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丘を越えて行こうよ・・・

御牧ヶ原そのものが千曲川から200m高い丘の上ですが・・・

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山の池という感じの池・・・

上田市の「塩田平のため池群」は140のため池があり、日本ため池100選にも選定されていて、池によってはウォーキングや観光コースになっている池もありますが、御牧ヶ原は農業、優先で池際の立ち入りを禁止している池も多く観光とは無縁です。
そうした本来のため池の姿を見られるともいえます。

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オタマジャクシ・・・

蛙になりかかっていますね。
10㎝以上ありました。どんななエルになるのかなと・・・
ここは蛙にとっても天国かもしれません。

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御牧ヶ原の向こうの八ヶ岳・・・
雲がかかっていました。

御牧ヶ原の地名の由来は平安時代、毎年八月に信濃の望月の牧から宮中へ献上した名馬「望月の駒」を生み出した勅旨牧から「御牧」と呼ばれたようです。そして牧場の有った台地を御牧ヶ原台地、御牧原、御牧野などと呼びました。歴史のある台地といえます。

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御牧ヶ原台地から千曲川へ・・・
浅間山の山麓にわが町が広がっているのを俯瞰しながら・・・


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