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オコジョの散歩道

■御牧ヶ原台地にて1  千曲川から御牧ヶ原(06-18 07:42)
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千曲川を隔てた御牧ヶ原・・・

梅雨の晴れ間・・・

御牧ヶ原の上から浅間山を見てみようかと・・・

御牧ヶ原は小諸の町から千曲川を隔てた断崖の上・・・
この上を目指します。



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千曲川を渡ります。

左は浅間山麓、右は御牧ヶ原の山裾・・・
まるで違った地質を川が隔てています。

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千曲川の岸辺からの浅間山・・・

小諸の町はこの緑の河岸段丘の上・・・
その上は若く爆発的な火山、浅間山の裾野の坂の町です。

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西浦集落の双体道祖神・・・

一見、手を握りあっているようにも見えるのですが、なんとなく怖そうな雰囲気があります。
良く見ると左の人物が大きく男性で手に持っているのは先が尖った剣にも見えます。剣持道祖神と呼ばれる形のような気がします。
一般的な道祖神はほとんどが神道系で、酒を酌み交わす祝言形や、手をつないでいる微笑ましいものが多く見られます。それに対して、神道系の道祖神と反対の男女の神の並び方が逆、男女の差別がつかないのは仏教系道祖神ですそして、仏教系によくあるように表情に厳しさを感じます。

剣持道祖神は珍しいものだそうですが、しかし、小諸市内にもう3体、東御市に3体、剣持道祖神を確認しています。この地方には剣持道祖神の信仰があったようです。

5西浦
剣持道祖神の奥にあった石仏・・・

右足を立てて頬に手を添えている半跏という如意輪観音のようなのですが、如意輪観音が優しい女性的な雰囲気がなく、頭に載せた天冠台(てんかんだい)もなく、坊主頭の僧のようにも見えます。上の剣持道祖神と似た雰囲気が・・・
いずれにしても、かなり変わった石仏といえそうです。

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西浦の隣の上ノ平らで、庭にいた同じ合唱団で歌った友人(彼は現役ですが・・・)と話をしながら一休み・・・

その後。こんな山道を御牧ヶ原の台地へ・・・

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砕石場の後を見ながら・・・

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だいぶ空が近くなったような、台地は近いです。

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御牧ヶ原台地の上・・・

小諸の市街地から見ると、里山のように見える御牧ヶ原は坂の町小諸城下町と較べると、水田と畑が続いている穏やかな土地です。
その向こうに北八ヶ岳と蓼科山がほほ笑んでいました。

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広々とした雰囲気があります。
もちろん、関東平野と較べようはありませんが・・・

御牧ヶ原は、千曲川と布施川・鹿曲川の渓谷に囲まれて、ちょっと、緩やかな起伏のある標高800m前後の広い台地となっています。
御牧ヶ原台地は、100万年以前の北八ヶ岳の泥流による堆積層でした。佐久平の一部だったという方が正確かもしれません。その佐久平の一部が、隆起したのが御牧ヶ原台地です。
浅間山麓の火山灰台地と違って、強粘土質の豊かに土壌です。

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こんな林の中の道もあります。

浅間山を仰ぐ素敵な原に御牧ヶ原ですが、ここは農民にとっては厳しい場所でした。
理由は、まず、周囲を千曲川、布施川、鹿曲川が台地を囲んでいますが、台上には河川がなく、水源がありません。その上、年間降水量は800〜900ミリという全国でも有数の少雨地方・・・

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長野県農業大学小諸キャンパス入口・・・

「アゝ ありがたきかな此の水」という石碑があります。

同じ長野県でも南部の伊那地方の半分以下という少雨地帯です。
こうしたことから、全く農業には適さず、明治時代までは開墾の記録の無い不毛の地でした。

今はこうした施設の有るような豊かな土地です。

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説明してきたように、水に苦労に苦労を重ねた御牧ヶ原には実感です。
此の碑文は初代小諸市長、後に衆議院議員と参議院議員をつとめた小山 邦太郎です。
彼は「一滴の水といえども金水と心得て、浪費を戒めて、水源の満養に務めよ」とも言っています。このことについては長くなりますので明日もう少し説明します。

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御牧原神社がありました。

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この神社については、この地域の氏神ということなのでしょうが、詳しいことは知りません。この地が開墾され、そのよりどころだったのだと思います。

祭神名は判りませんが、伊勢鳥居ともいわれる神明鳥居と社の形から伊勢神宮系列の天照大御神か豊受大御神を祀っているようです。


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溜池・・・

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溜池の上の白馬連峰・・・


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