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オコジョの散歩道

■真田・傍陽の里と山城達(4) 根古屋城(06-16 07:38)
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根古屋城からの烏帽子岳・・・
上田地方の故郷の山は浅間山でなく、この烏帽子岳か太郎山です。



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大庭集落から根古屋(ねごや)城ら向います。
手前を遮っている里山の上に根古屋城があります。

根古屋城という山は、関東では埼玉県所沢市や秩父地方の横瀬町、また高崎市には2年ほど前に私が登った根小屋城という山城もあります。また現地の案内には根古屋城と根小屋城と両方の道標や案内がありましたので、どちらでもいいようです。

根古屋、または根小屋とは、普段、武士たちの暮らした集落を言います。山城は戦いのための砦ですが、こちらは山の麓にありました。しかし。何故かここは険しい山の上・・・
もっとも高崎の根小屋城も山の上でしたが・・・

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山裾はこんな岩・・・
根古屋の城壁の一部といっていいようです。

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城の登り口・・・

杖やストックが置いてありました。険しい山かなと・・・

武士達の暮した根古屋は中世の城には付き物でした。
堀ノ内、堀籠 (ほりごめ)、箕輪 (みのわ) 、寄居などという地名がありますが、これは根古屋の有った場所だそうです。
最初は中世に発達した名主や地頭などの居館を囲んだ武士たちの集落だったそうです。
こうした地名あるということは、そこに武士集団が存在し暮らしていたこと証しだそうです。呼び方は地域によって異なり、称は地方によって異なるが,根小屋,このような集落が中国,四国は土居 (どい) ・山下 (さんげ) ,九州は麓 (ふもと) ・府本・拵 (かこい)という地名が根古屋に当たるそうです。

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道はこのように細いですが、九十九折りでわりと登りやすく、新緑の山歩きを楽しめました。
ただ、戦国時代はもっと直線的で急峻で防御の固い城だったようです。
その頃は私には登れなかったかもしれません。

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こんな石垣もありました。
摘み方からして古いもので城の入り口に当たる虎口だったのかもしれないとか・・・

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この石垣は立派ですね。

城跡には、後世に神社があったそうでその石垣の可能性が大きいそうです。
ここを登ると、城の中枢の本郭となります。

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といっても、こんな山の上ですが・・・

伝承によると、この城は天文年間(1532〜55)、村上氏に支城となり、その後、村上義清が武田信玄に敗れ越後に去ると、武田家臣の城となり、信玄配下の山県昌景の指揮下の大熊朝秀の居城となります。った。大熊朝秀は越後長尾景虎(上杉謙信)の家臣だったそうですが、景虎の出家騒動で、長尾氏に見切りをつけ、武田に寝返ったそうです。しかし、その後は武田も忠実に仕え、武田勝頼に最後まで使え、天目山で勝頼に殉死したそうです。彼の子孫は、その後真田氏に仕え、幕末まで続いたそうです。

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神社の痕跡・・・
どんな神社だったのでしょうか・・・

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本郭の西側の土塁・・・
なかなか立派なものでした。

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本郭の登り口から下りながら西側に尾根に回り込む道があり辿ってみます。

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立派な手摺のついた階段・・・

古びていますが現代の遊歩道ですね。
これが有ったら城兵は楽だったでしょうね。

でもそれでは敵には好都合・・・
命の重みは、楽をしてはいけないのかもしれません。
戦国時代には・・・

現代はどうなのか・・・

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右は本郭・・・
見上げるような急な壁、15mを越えていそうな・・・・

切壁とといて、人数削った城壁なのでしょうね。

17この巨大な堀切の先この先に二の郭、三の郭があったようなのですが・・・
偽、山城マニア・・・

ここは二重の大堀切・・・
それを越えていく橋に気をとられて左に曲がり・・・
その先は藪でしたし・・・

そちらは4郭なのですか・・・

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2つの堀切を越えてそのまま前進・・・

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この堀切で城外・・・

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でもそのまま進みます。

この先はどうなっているだろう・・・

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そして、この先に里に下りる道があるはず・・・
地図には道がありませんが・・・
地図にすべての道が書いてあるわけではない・・・
そういう道好きなのです。

そして、そんな道を見つけて墓地の脇を削り、降りたところは、昨日紹介した大庭集落でした。振り出しにもどりましたが・・・

知らない道を歩いて満足でした。


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