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オコジョの散歩道

■豊昇から面替 (浅間山麓 御代田南部を行く 7)(03-20 07:35)
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露切橋の上からの湯川・・・

露切峡といわれる渓谷になっています。

昔は、谷を覗き込むと、ゾッするほど深い谷で身震いしたとたんに身体についている露も切れるようだとして露切の名前がついたとか・・・



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辿ってきた上流はこんな穏やかな流れです。

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見渡す限りといっていいいような急な崖の上は、ここも訪れてきた広戸地区・・・
広戸は広いななどとオヤジギャクなど言いたくなるような・・・

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御代田駅のホームの観光案内板には御代田「露切峡」とあるのですが、現地には案内は一切なし、車ならあっという間に通り過ぎてしまいそうです。

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この写真を察した途端にカメラがアクシデント・・・・

ズームを使ったところズームが動かず、ピントも会わず、シャッターもおりません。
だいぶ前からズームを使うとズームエラーが発生していて騙し騙し使っていたのですが、そろそろ駄目かなとは思っていたのですが・・・

2年半くらい前に手に入れたものですが、私は撮影枚数が多くこのカメラも5万枚を超えています。大体2年で駄目になるかなという感じで驚きもしませんが、タイミングが悪いですね。

昨年、モデルチェンジしたカメラを購入してあるのですが、持って来ていません。
いろいろやってみました。ズームを強引に手で動かしてみたり・・・

その甲斐あってか、シャッターが押せるようになりましたが、しかしズームは使用不可能・・・
このカメラの光学ズームは25 mmから600 mmの24倍なのですが広角25 mmの固定となりましたが、撮影できるのは幸せなことです。
物事は良い方に考えた方が得です。

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広角のみの一枚目・・・
露切橋は豊昇地区ですが露切峡の核心部は隣の面替地区になります。

露切峡にはこんな話が伝わっているそうです。
 
露切峡から下流の平根の村までトンネルで水を引くことになり用水工事が行われました。しかしこの工事は難工事で、大勢の人が亡くなり、けが人も多く出て工事は進みません。
面替の庄屋が祈祷をして神のお告げを受けたところ、お告げは川の神のたたりがあるから「娘をささげよ。」・・・
村人は、一昼夜話し合ってくじ引きにより娘を選ぶことになりました。しかし選ばれたのは庄屋の一人娘・・・
庄屋は悲観にくれましたが、話を聞いた娘は、自分の宿命と一晩泣きあかしますが、翌朝、愛馬乗るとり、人々がびっくりしているなかを、矢のように淵に飛び込みます。その後、工事は順調に進み、無事完成しました。今でも娘をのせた白馬の足跡が露切峡の岸の岩に残されているそうです。


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面替の集落に入る手前で少し山の方に入り、大星神社によります。

大星神社いい名前ですね。
無限の宇宙の大きな星・・・

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北極星を祀っている妙見信仰の大星神社がありますが、もしかしたら・・・

でもいずれにしても面替集落の守り神のようです。

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でも、神紋もなく・・・

上田に同じ名前の大きな神社があり、諏訪明神の建御名方命を祀っています。武田信玄の信仰した諏訪大社の神を祀っていると考えるのが妥当なのでしょうね。

注連縄が張られ大切に祀られているようです。

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江戸時代中期の文政2年(1819)の夫婦神・・・
現存する双体道祖神は大体江戸時代中期から明治の物が多いようです。そうしたことからすると古いものといえそうです。

双体道祖神にはその形からいろいろな形に分類されますが、こちらは右の女神が左の男神の盃にヒョウタンの徳利から酒を婚儀の祝宴の様子から「祝言型」といわれます。

ただ気になるのは、一般的に双体道祖神は男神が右で女神が左という形なのですが、ここでは配置が反対です。

こうした形には一般的な双体道祖神が神式なのに対して、仏教式の道祖神の場合が多いのです。仏教式は表情が険しかったり、男女の区別がつかなかったりするのですが、ここのカップルは配置が違っているほかは神式の形・・・
まだ、こうした像が少ない時代なので、石工が間違えたのか注文主の依頼なのか・・・

わりと珍しい形のように思います。

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こちらは明治18年(1894)の夫婦・・・
物双体道祖神が盛んに作られた終わりのころでしょうか・・・
上と同じ「祝言型」ですが、上は肩を寄せ合って仲睦まじい様子なのに対して、こちらよりそっと手はいますが、生真面目です。結婚式で緊張しているのかなと・・・

余り難しく考えずに、そんな具合に見ると親しみがわいてきます。

夫婦ですから夫婦円満や子孫繁栄はもちろん、豊作祈願、そして悪例が村に入るのを防ぐなど道祖神の役割はたくさんあったようです。

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神社の奥にこんな看板が・・・
「信州みよたクラインガルテン大星の杜・面替」と「面替 小谷ヶ沢遺跡(こやがさわ)」についてでした。

「信州みよたクラインガルテン大星の杜・面替」は滞在型農園施設ですが、この設置により平成25 年’(2013)に発掘調査を行ったところ縄文時代中期後半〜後期初頭の竪穴住居跡17 軒、平安時代の竪穴住居跡4 軒、縄文時代を主とする土坑86 基が発見されました。

縄文時代のこの地には縄文時代にはここに邑があって浅間山を眺めながら知らしていました。

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その中の縄文時代中期後半〜後期初頭(約4,500 〜 4,000年前)の竪穴住居跡からは、

竪穴住居には石を敷いた4000年前の敷石住居跡などが発掘され、土器等が出土していますがその中に、案内板右下手の写真の注口土器が出土したそうです。この時代には土器の把手には、鳥や蛇を模したものがわずかではあるそうですが、この土器もそそぎ口の反対側に目のような穴がふたつあり蛇を連想させる把手があり、たいへん珍しいそうです。
蛇は水の神といわれるそうですが蛇を模した把手の意味は何菜なので背しょうか・・・

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「信州みよたクラインガルテン大星の杜・面替」は、都市からの地方への移住・定住や家族層の週末農業・農村生活体験など「田舎暮らし・農業体験・農村交流」をキーワードとした、都市住民の方と農村地域の住民による農業体験等によって限界集落化が進む地域に新たな人の流れを作り、交流人口の創出や移住・定住の促進を目的にしているそうです。
ここにはラウベ(簡易宿泊施設付き専用農園)8区画、交流施設1棟、共同農機具置場1棟、共同菜園1区画が整備されています。
年間を通して野菜作りに励むガルテナー(施設利用者の方)と地元の農村交流を重ねて「ふるさと」を共有し合うような機会を持っているそうです。

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大星神社あたりから見下ろす面替集落・・・

久能のところで、佐久市の横根から豊昇、茂沢を抜け入山峠を越え群馬県松井田に至る裏街道の日影道について触れましたが、面替もその道沿いにありました。

日影道は「日影通り」共呼ばれたようですが、面替は近世には日影通り十ヶ村の中馬総代が置かれていて、当時のこの地方の陸上運輸の重要な拠点の一つだったそうです。

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面替の集落を行きます。

御代田は軽井沢に隣接し、わずかずつですが人口が45年後も増し続け、人口が減少しない町と言われているそうです。そんな御代田町にありながら、面替は限界集落化が進んでいるそうです。

長野朝日放送に『CM大賞NAGANO』という企画があります。これは長野朝日放送によると「豊かな自然と人情を育む「ふるさと」への思いを「手作りCM」にこめた映像の祭典です。伝統・観光・人物・自然・・・などを題材として様々なアイデアで、自分たちの住む市町村の魅力を30秒のCMで表現し、優秀な作品を表彰するイベント」だそうです。
長野県の市町村太閤のCM合戦といっていいかもしれません。

昨年の奨励賞に御代田町が選ばれ「宴会集落、面替!」ということで何度かCMが放映されました。「ここは限界集落じゃなく、宴会集落だ」と・・・

人と人とのつながりが喪失しているなかで、面替は人と人とのつながりが強いようです。本当はそういうことが大切なことなのではないでしょうか・・・

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面替を抜けて佐久市へ・・・

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用水・・・

庄屋の娘が露切峡に身を捧げて完成した用水のようです。


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