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オコジョの散歩道

■広戸 城と産土神社(浅間山麓 御代田南部を行く 2)(03-09 08:57)
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まずは広戸地区からの浅間山・・・



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雪窓湖から前の道を湯川の谷へ・・・

まずは北陸新幹線の下をくぐります。

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最初はわりと急な木道ですが、豊昇と広戸へと道が2つに別れます。どちらも湯川へ行けるのですが、豊昇へはそのまま湯川へ・・・
私の選んだ広戸への道は、この辺りに多い田切地形という急な崖に挟まれた谷を越えて台地へ登っていきます。

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広戸城を守るような断崖・・・

これが田切(たぎり)地形です。

田切という地名は日本各地にあります。信州の伊那谷の中央アルプスの谷には○田切谷という谷がいくつもあります。これは急峻な谷が扇状地を滾り落ることからです。

「田切」も「滾る」が由来といわれます。両岸が崖となってその中の水が激しい流れを言います。

御代田から小諸市にかけての浅間山麓は約1万年前に浅間山の噴火による火砕流による白色の軽石と火山灰の地層となっています。この火砕流は二度あり、「浅間第一軽石流」「浅間第二軽石流」と名があります。
そこを浅間山から流れ出る流れが柔らかな軽石流地層を削り取り、断層のような、凸地の台地と凹地の谷からなる「田切り地形」と呼ばれる、このあたりの特有の地形となりました。


ここを流れる川は、そう急でもなく数量も多くはないのですが、そのささやかな流れが、崖を作り出しました。
谷の壁は垂直になっていますが、この高さで水分を吸っては崩落したり、風化によって、下部が、落ちてえぐれて、やがて上が崩落して垂直の壁になったそうです。

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谷底はそうした崩落で広くなり、この写真に見られるように水田となっている場合が多く見られます。

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田切地形の谷を越えるとこんな広々とした浅間山麓の台地になります。

なるほど広戸だなと・・・

でも広いのは判りますが、戸は・・・
もしかしたら戸は、田切の崖が戸でその上が広いからかな・・・
私の勝手な想像ですが・・・

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広戸の集落に入っていきます。

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集落の中から湯川へ下る道・・・

集落は一番急な畑になりにくい所にあります。山国の山村の家々はこうしたところに家を建てました。一等地は田や畑のために・・・

この奥の坂を登ったところは広戸城という山城だったとか・・・
湯川の岸辺の豊昇へ下る道は堀だったようです。
ちょっと寄ってみます。

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中に入ると野菜畑です。

ここが広戸城の中心の1郭・・・
広いですね。少し前の同じ御代田の針木沢城と十石城も広かったですが、ここも広いですね。砦というより居館も兼ねたのかなと・・・

この城も詳しいことはわかっていないようです。

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先は崖になっているようで畑も道も無くなっています。

言い伝えでは天文年間に武田晴信の父の武田信虎の信濃侵攻に対して、この要害の城で守り抜きますが、ある年末の餅つきの最中に武田軍の急襲を受け落城したといわれています。

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1郭から下を覗いてみると・・・
樹々の間に湯川が下に見えます。
その奥には湯川の発電所が見えました。

こちらは急峻ですね。
これ韮さすがの武田も簡単には攻め落とせられませんね。

広戸城は武者城、民者城という別名があるそうです。
武田軍により落城した時の城主は海野氏系の武舎加賀守と伝えられています。

佐久地方には武舎と武者の両方の苗字の方がいらっしゃいます。
関係あるのかなと・・・

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湯川の対岸の豊昇地区の久能集落からの広戸城・・・

この湯川から60メートル以上・・・
絶壁の上の城でした。

城主の武舎加賀守は武田との戦いで戦死、奥方は崖から陣傘を広げ飛び降り、下の沼に沈んだと云う伝説が伝わっています。「そして奥方沈んだ沼は底無し沼だから、近付いてはいけない」と、子供は言いきされたとか・・・
また、餅つきの際に襲われたということで、暮れに餅つきをすると、餅が赤くなると餅をつかなかったという話も残っています。

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1郭の西には堀切を挟んで2廓・・・
その先にも湯川の絶壁の上に3郭があったそうです。

畑の中ですので、無深入りはできません。
城の概略は判りましたので城跡をあとにします。

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このあと豊昇に行く予定です。広戸城の堀から湯川への道からひと下りですが、初めて訪れた広戸を散歩しながら大回りしてゆくことにします。
なかなか来ることがないところですので・・・

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広戸の集落を行きます。
土壁の蔵が懐かしいですね。

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広戸神社

鳥居はすっきりとした神明系の鳥居ですね。伊勢関係の神社かなと・・・

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正式には廣戸神社(ひろとじんじゃ)だそうです。

明るく開放的な落ち着いた感じの実参道と境内ですね。

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かえって調べてみると、創建など詳しいことはわからないそうですが、広戸区の人々の産土神だそうです。

江戸時代には高根神明社と呼ばれていたのを明治維新に廣戸神社となったそうです。

神明社は天照大御神(あまてらすおおみかみ)を主祭神とする伊勢神宮内宮を総本社とする神社です。地元ではお伊勢さんと呼ばれて慕われているところも多いようです。

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なかなか立派な社ですね。

ここは町の中心から離れているので、開拓地かなと思ってきたのですが、土壁の土蔵やこの神社から見て、古くから人々の暮らした邑だったようです。


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