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オコジョの散歩道

■松本散歩2 松本 天神 深志神社(12-12 07:58)
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松本は北アルプスと美ヶ原に挟まれた松本平(盆地)・・・

でも美ヶ原は北アルプスに較べると里山という感じでひっそりと・・・
この山は美ヶ原の王ヶ鼻というピーク・・・

この日の中北アルプスは雲の中でしたから、あなたが主役です。



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あがたの森辺りは江戸時代には埋橋村と呼ばれていて、「埋橋の森」と呼ばれた場所に松本藩主・松平丹波守一族の廟所丹波塚があったそうです。地名は藩主が埋葬されていたことによるようです。千曲川の源流の村の川上村には埋沢という沢があり「うめさわ」と言いますので、「うめはし」と読むのかなと思ったら埋橋で「うずはし」というそうです。日本語は難しいですね。

なるべく車の少ない道を松本城へということで元埋橋村を行きます。


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埋橋の道祖神・・・

この立て札の案内が無かったら見逃したかも・・・
長野県の道祖神は双体道祖神と文字碑などを合わせて約3900基で日本一だそうです。その内安曇野市には580余基の道祖神が点在していて、訪ね歩いたことがあります。間違いなく、日本一の道祖神の里と言えます。そして衣冠束帯・十二単衣の雅な酒を酌み交わす祝言像が多いのも安曇野の道祖神の特長です。
この松本市も道祖神の宝庫で造立数は400基を数えるそうです。美ヶ原温泉から里山辺地区の道祖神を訪ねて歩いたこともありました。

この埋橋の道祖神は寛政7年(1795)の安山岩の自然石に刻まれています。松本市内では寛政から文化・文政〜天保期に多くの道祖神が作られているそうですが、双体道祖神としては古いものと言えるようです。

男神が女神の肩を抱き、女神の着物の裾に手を掛け、その手を女神の手が抑えるように握りっています。顔は緊張感があり、独特な雰囲気があります。

双体道祖神の生産・生殖の神として五穀豊穣・子孫繁栄を表した一つの形と言えます。

この道祖神の駅方向の道は江戸時代に松本藩主が薄川の南にある武神を祀つる筑摩神社への参拝に使った古くからの古道だそうです。

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深志地区に入ると土地の人が天神様と呼び親しまれている深志神社(ふかしじんじゃ)があります。もっともここを目指してきたのですが・・・

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鳥居・・・

深志神社は社伝によると、信濃守護・小笠原貞宗が夢にたびたび現れた諏訪明神(建御名方命)を祀って南北朝時代の暦応2年(1339)創建し宮村宮(宮村大明神)と称したのが始まりと言われます。その後応永9年(1402年)には小笠原長基が北野天満宮(天神)を居館である井川館近くの鎌田の地に鎌田天神として勧請したと言われます。

その後、永正元年(1504)小笠原氏は、松本城の前身の深志城を築き、この神社を産土神として社殿を西面に変えて、城の巽(南西)の鎮護神としたそうです。

江戸時代の慶長19年(1614)、小笠原秀政公が、鎌田天神宮村明神の北側に移し、宮村宮の北の新宮に移し並んで祀られました。

7富士浅間 金毘羅
深志神社近くの富士浅間神社と金比羅宮を合わせた社がありました。
富士山の木花咲耶姫と四国の金刀比羅宮の金毘羅大権現が仲良く小さな社に収まっているようでした。

日本の神は仲よしのようで「神無月」には、出雲大社に全国の神が集まって一年の事を話し合うとか・・・

もっとも「神無月」に出雲に神が出向いて、他の地方は神がいなくなるという話は、中世以降に生まれていて、神無月の語源は諸説あってはっきりしないそうです。
一説には「神無月」の「無」はないという意味でなく「な」という「の」にあたる連体助詞で、「かみな月」だったのを「神無月」の字を当てたのではないかと・・・
6月は水無月ですね。梅雨時に「水の無い月」はおかしいのですが、「水の月」だとすればスッキリしそうです。

12月は師走ですね。良く、師匠の僧がお経をあげるために、東西を馳せるから「師馳す(しはす)」と言われますが、平安時代に生まれた根拠のない俗説だそうです。「しはす」という言葉に「師走」を当てたためにいろいろな説が生まれたようです。とはいえ忙しい年末にふさわしいのかも・・・

9松尾 金山神社 P1030673
たくさんの神がいるということで、いつも陽の当たる古紙の少ない境内社たちをとりあげます。ここは右のように境内社の説明がありましたのとで・・・

まずは松尾神社と金山神社・・・
天保8年(1837)勧請の松尾神社は大山咋神が祭神です木花咲耶姫の父神です。京都市の松尾大社の末社ですね。
狂言「福の神」では、松尾神は「神々の酒奉行である」と言っています。松尾大社では現在も神事に狂言「福の神」が奉納され酒神として酒造関係者の信仰を集めているそうです。

金山神社は全国にありますが、ここでも祀られている金山彦神等、金属および鉱山とその関連業(鍛冶、鉱業、ほか)にまつわる神を祀るところが多いそうです。
ものが多い。

10市神社一宮
市神社・・・

ここは案内板をそのまま・・・
御祭神 大市姫命(オオイチヒメノミコト)塩土之老翁(シオツチノヲジ)事代主神(コトシロヌシノカミ)
商都松本の萬商守護神とされ、「敵に塩を送る」の故事に由来した正月の伝統行事であるあめ市の神様。
あめ市の期間中この市神社より文政九年(1826)制作の神輿が遷座され本町二丁目町内に祀られます。

市神は市の取引の無事や幸福を 与える市の守護神

松本 あめ市
松本あめ市は、戦国時代の甲斐の武田信玄と、越後の上杉謙信の川中島の戦いは有名ですが、この最中に、駿河の今川氏真が武田に塩の供給を止めます。それを知った謙信は越後から信濃経由で塩を送った「敵に塩を送る」です。この時に、塩が松本に着いた日を記念して「塩市」として始まったといわれ、深志神社の天神祭りとともに松本を代表する祭りで年頭に行われます。

11愛染神社
愛染神社
主祭神 愛染明王神
愛染明王は不動明王などとともに仏教に未だ帰依しない民衆を帰依させようとする役割を担った仏教の明王のひとりです。ここは神社ですが、神仏習合の名残り気があるようです。

愛染明王は、右手に矢を、左手に弓を持つ憤怒のすがたですが、悪縁を切り、良縁を結び、人々が幸せに暮らせるとされ縁結びの神様として知られています。

12恵比寿
恵比寿神社

本町一丁目の守護神として寛保2年(1742)に鎮座されたそうです。
祭神 事代主神(ことしろぬし)とその父親とされる大国主神(おおくにぬし)
恵比寿は七福神のひとりですね。

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松本深志神社の湧水・・・
松本市井戸整備事業で整備されたとか・・・
松本は水の町と、その話は明日になります。


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神楽殿・・・

元は拝殿だったそうです。現存する深志神社最古の建物で江戸時代前期寛文12年(1672)建立です。その後、屋根を瓦から銅版に葺き替えるなど改修が重ねられたそうです。

戦国期には一時荒廃したようですが、江戸時代には松本藩累代藩主の庇護崇敬を受け、松本城下の南半分の商人町の総氏神ともなりました。
この神社の祭神は歴史から見て、本来は建御名方命の方が主祭神でかす、やがて天満宮の方が有名となり、深志天神・天神様と呼ばれるようになりました。
天保12年(1841)に「深志神社」と現在の名となりました。

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拝殿

幣殿を伴う極彩色の華やかなものですね。

卒して松本の。現在、県内の病院で地域医療に従事しながら作家活動を続けている。

松本の「24時間、365日対応」の「本庄病院」に勤める内科医・栗原一止を主人公とした小説「神様のカルテ」があります。
櫻井翔と宮崎あおい主演で映画化されて言いますので、ご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。この小説の「本庄病院」のモデルは松本市にある相澤病院で筆者の夏川草介さんは信州大学医学部を卒業後してから勤めていたそうです。
相澤病院は今年の平昌冬季オリンピック500m金メダルの小平奈緒選手の所属する病院でもあります。
映画は妻がテレビで見ていましたが、私はパソコンに向っていてほとんど見ていないのですが、小説は三部作と「神様のカルテ0」という短編集を含めて読んでいます。
この作品では信州各地の風景が数多く描かれていますが、やはり松本が多く、三部作の中で、深志神社は何ども登場しています。
ただ映画では、ここは華やか過ぎて情景に合わないとロケ地としては安曇野市にある三柱神社が使われたそうです。

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七五三でした。
もうだいぶ日がたったなと・・・

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孫は元気かなと・・・

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本殿

拝殿と本殿は 明治8年の建替だそうです。

祭神は
建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)
菅原道真公(すがわらみちざねこう)

本来は諏訪神社なのでしょうが、前にも書いていますが、地元では「天神様」天神様で、7月24・25日の例大祭です。天神祭りの様子は「神様のカルテ」にも描かれています。


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